大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和44年(あ)752号 判決 1973年4月17日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人水上憲文、同安生磯の弁護人雪入益見、同新井章、同田原俊雄、同川口巌連名の上告趣意(昭和四四年一二月二五日付)について。

所論のうち、判例違反をいう点は、所論引用の東京高等裁判所昭和二九年一二月一八日判決は、本件と事案を異にし、適切ではなく、その余は、憲法三一条、三七条違反をいう点もあるが、実質は、すべて単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、結局、所論は、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(なお、右弁護人ら四名連名の「上告趣意書(補充書)」(昭和四七年一月一一日付)は、上告趣意書提出期間後に差し出されたものであるから、判断を加えない。)。

被告人芳賀幸雄、同美才治禎宏の弁護人牧野内武人、同西田公一、同宮原守男、同飯田孝朗、同高橋信良連名の上告趣意のうち憲法一四条違反を主張する点について。

所論椎名列車指令員が起訴されず、被告人美才治らのみが起訴、処罰されたとしても憲法一四条に違反するものではないことは、当裁判所大法廷判例(昭和二三年(れ)第四三五号同年一〇月六日判決・刑集二巻一一号一二七五頁)の趣旨により肯認しうるところであるから、所論は、理由がない(なお、当裁判所昭和二六年(れ)第五四四号同年九月一四日第二小法廷判決・刑集五巻一〇号一九三三頁参照)。

同憲法三一条違反を主張する点について。

記録に徴すれば、所論椎名列車指令員が起訴されず、被告人美才治らのみが起訴、処罰されることが所論のように法の差別的かつ不公平な適用であるとは認められないから、所論は、前提を欠き、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

同判例違反を主張する点について。

所論引用の大審院昭和一二年一一月一六日判決、同院昭和一九年五月九日判決、最高裁判所昭和三二年一二月六日第二小法廷決定、同裁判所同年一二月一七日第三小法廷決定および大阪高等裁判所昭和三六年一二月一五日判決は、いずれも本件と事案を異にし、適切ではなく、また、和歌山地方裁判所昭和三四年二月一六日判決、津地方裁判所昭和三八年五月一五日判決、東京地方裁判所昭和三三年四月一五日判決、横浜地方裁判所昭和三八年三月二三日判決および京都地方裁判所昭和四〇年五月一〇日判決は、いずれも地方裁判所がした判決であり、福岡高等裁判所昭和四〇年三月二七日判決のうち所論引用の部分および同裁判所同年一〇月一九日(所論に「二一日」とあるのは誤記と認める。)判決は、いずれも第一審判決の量刑を不当とする理由を説示するにとどまり、他事件に適用されるべき法律判断を示したものではないから、すべて刑訴法四〇五条二号または三号にいう判例に該当せず、結局、所論は、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

同その余の主張について。

所論は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、各上告趣意中の事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の所論にかんがみ、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものと認めることはできない。とくに量刑不当の所論について考えるに、被告人らの各注意義務、過失、結果等の犯罪の情状に徴すれば、所論を考慮に入れても、原判決の維持した第一審判決の量刑は、まことにやむをえないところというべきである。

よって、刑訴法一四条、三九六条により主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官田中二郎の意見および反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官田中二郎の、上告趣意中被告人水上憲文、同安生磯、同芳賀幸雄に関する部分についての意見、被告人美才治禎宏に関する部分についての反対意見は、次のとおりである。

私は、被告人水上、同安生の弁護人ら連名の上告趣意(昭和四四年一二月二五日付)は、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらず、また、被告人芳賀、同美才治の弁護人ら連名の上告趣意中憲法一四条違反を主張する点は、理由がなく、その余は、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらないと考えるものであり、この点については、多数意見に同調する。しかし、私は、各上告趣意の所論に鑑み、調査の結果、次のように考えるものである。

一 本件は、いわゆる三河島事件として、世人に衝撃を与える大惨事を惹起した列車の二重衝突事故の責任者の過失責任を問うものであって、その結果の重大性に鑑みると、本件事故を惹起するに至った責任者が重い過失責任を問われてもやむを得ないという考え方も、いちおう、理解し得ないわけではない。また、過失犯の量刑にあたって、過失の内容・程度・態様のみならず、それが惹起した結果の大小があわせ考慮されるべきことも、一般論としては、肯認されなければならないであろう。しかし、その反面において、過失犯の刑事責任を追究するにあたっては、それが惹起した結果の重大性に目を奪われ、当該事故の生じた客観的条件のもとにおける責任者の過失の内容・程度・態様について周到な考慮を払うことなく、当該事故のもたらした重大な結果にのみ対応する重い刑事責任を追究しようとする考え方には、にわかに賛成しがたい。いかに重大な結果をもたらした場合であっても、それが不可抗力に基づく場合には、その刑事責任を追究し得ないことを考えれば、重大な結果をもたらしたことそのことから直ちに刑事責任が追究されるべきでないことが明らかであり、それが責任者の過失に基づく場合においても、その過失の内容・程度・態様に応じた刑事責任が追究されるべきことは、まさに刑事裁判の常道というべきである。

ところで、本件においては、各被告人の過失の内容・程度・態様について、果たして正しい認定・評価がされたかどうか、そして、それとの相関関係において正しい刑の量定がされたといえるかどうか、その際、そのもたらした結果の重大性を無視することは許されないとしても、それに目を奪われ、結果責任的な考え方に立って刑の量定がされるということがなかったかどうか、これらの点について、私は、若干疑問を抱かざるを得ないのである。殊に、本件の各被告人(原審で刑が確定した各被告人を含む。)が過失責任を免れないとしても、第一審判決が果たして各被告人の過失の内容・程度・態様を正しく認定・評価したうえ、それに対応した刑事責任を負わせたといえるかどうかについても、若干の疑問を抱かざるを得ないのであるが、原判決が第一審判決の一部を破棄し自判することによって、三河島駅ないし岩沼方信号扱所の職員と列車の乗務員との間の過失責任の関係についての判断を誤り、その結果、却って一層刑の量定に不均衡をもたらすに至ったのではないかとの感を禁じ得ないのである。

二 本件で最も疑問に感ぜられるのは、原審が、下り電車の車掌として乗務していた被告人美才治に対し禁錮一年六月の実刑に処した第一審判決を支持し、同被告人の控訴を棄却した点である。すなわち、原審は、被告人美才治には第二事故発生に対する予見可能性がなく、したがって、結果回避義務がなかったこと、および、第一事故の直後に同被告人がとった措置以上のことを同被告人に期待することは不可能であること等を主張した同被告人の控訴理由をすべて排斥し、被告人美才治には第二事故発生の予見可能性があったこと、第二事故を防止するため上り線に対する列車防護措置を講ずることは十分可能であったこと、したがって、かような防護措置を講ずることを同被告人に期待することは、決して難きを強いるものではないこと等を理由として、同被告人の控訴を棄却したのである。

しかし、本件第一事故は、被告人美才治が車掌として乗務していた下り電車にとっては、いわゆる「貰い事故」であり、この「貰い事故」に遭遇して同被告人がとった諸措置は、当該事故の発生した客観的諸条件のもとにおいては、原審が認定判示するところをみても、いちおう、理解し得ないわけではない。すなわち、原審が認定判示するところによれば、同被告人は、「下り電車最後尾の車掌室に乗務し、同電車が三河島駅を発車して、その後尾が時速六〇粁で同駅岩沼信号扱所先の日織戸架道橋を通過した頃、突然非常制動がかかり、続いて火花を伴う大きな爆発音を聞くと同時に身体がはね上り、更に前後二往復する程度の衝撃を受け、同被告人はパンタグラフが外れた事故による急停車と直感して、反射的に後尾前照灯に点灯し、車掌室の左右の窓から各二、三回ずつ前方を眺め、次いで右電車の先頭部に乗務中の運転士(被告人芳賀)から事故内容を聞くべく連絡用ブザーを押したが、運転士の応答がなかったので、三河島駅の駅員に非常事故を知らせるため汽笛を三声吹鳴したうえ、更に事故内容を確認するため合図灯を手にして車掌室左側扉から下車して走行し、右下り電車第五車両の前から二つ目のドア附近まで到った」(中略)というのである。さらに、右判示によれば、そこで「前方を見た際には、未だ接触事故を察知し得なかったとしても、同被告人が再度同電車左側を前方に走行し、第三車両中間附近に到ったときには、上り線支障の状況を充分確認できた筈」であり、「更に下り電車の床下をくぐり上り線側に出て、やや前方に走行したときには、上り線支障の状況は極めて明瞭に確認できたのであるから」(中略)「第二事故の発生を回避するため列車防護の措置を講ずることは、時間的にも行動的にも、充分可能であった」といい、したがって、同被告人としては、さらに前方に走行する等して、上り列車の停止手配を講ずるなど、適切な列車防護措置を講ずべきであったのであって、それを怠った点に過失責任を免れないとしているのである。

たしかに、右の場合に、同被告人が、さらに前方に走行する等して、適切な列車防護措置を講じておれば、第二事故の発生を防止することができたであろう。しかし、第一事故発生当時の客観的条件のもとにおける同被告人の立場に立って考えてみると、同被告人が上り列車が進行して来ることに考え及ばず、したがって、結果的には右防護措置を講じなかったということにも恕すべき事情が汲みとれるのであって、むげにその弁疏を排斥し、重い刑事責任を負わせることが果たして当を得たものかどうか、すこぶる疑わしいと思う。ことは、とっさの場合の判断と措置の当否の問題であって、かりに、その判断と措置にいくらかの抜かりがあったとしても、その過失の内容・程度・態様からいって、しかく強い道義的非難に値いするものとはいい得ないと考えるからである。その具体的理由として、私の考えるところは、次のとおりである。

(1) 第一に、本件事故に際し、被告人美才治に課せられている義務は単一ではなく、多数の義務の競合ないし衝突が認められる場合であり、しかも、これらの義務のうち、いずれの義務を優先的に選択して履践すべきかについて、とっさの判断を迫られたものであることに注意しなければならない。そして、多数の義務のうちのある義務を選択履践したために、他の義務を履践し得なくなった場合においては、かりにその選択に誤りがあり、したがって、過失の責を免れ得ないとしても、これを強く非難することは、酷に失するものといわなければならない。

これを本件についてみるに、本件第一事故直後の客観的条件のもとにおいては、下り後続電車の追突の危険がなかったとはいえず、また、衝突事故による火災の発生により桜木町事件のような大惨事を惹起するおそれが全く予想され得なかったともいいきれない。少なくとも、乗務車掌として、そういう危険を直感したとしても無理からぬものがあったといってよいであろう。本件においては、不幸にして、上り電車が進行して来て第二事故を惹起し、その結果、大惨事をもたらしたのであるが、第一事故直後の客観的条件のもとでは、そのことだけが予想されるべき唯一の可能性であったと断定するわけにはいかないのである。

ところで、同被告人の第一事故直後の行動をみるに、同被告人は、本件第一事故直後、「事故による急停車と直感して、反射的に後尾前照灯に点灯し」、下り後続電車の追突防止の措置を講じ、下り電車の運転士(被告人芳賀)に連絡すべく連絡用ブザーを押したが応答がなかったので、「非常事故を知らせるため、汽笛を三声吹鳴し、」さらに電車からおりて、前方に走行し、事故状況を確かめ、乗客の安全を図るため電車のドアを開くなど種々の措置を講じているのである。同被告人が、さらに進んで前方に走行する等して上り電車に対する適切な防護措置を講ずべきであったのにかかわらず、それをしなかったことに義務の違背があるといい得るにしても、このような多数の義務の競合ないし衝突の認められる場合においては、その義務の違背を強く追究することは、妥当とはいい得ないであろう。そして、次に述べる事情は、この点を考えるうえでも、あわせて考慮されなければならない。

(2) 第二に、同被告人としては、第一事故直後の客観的条件のもとでは、上り電車に対する停止手配等がすでに講ぜられているものと信頼して、第二事故の発生を予想しなかったとしても、無理からぬものがあったといえるであろう。すなわち、第一事故現場は、三河島駅の構内と構外との接する場所であり、同駅岩沼方信号扱所も間近かであること、同被告人としては、「非常事故を知らせるため、汽笛を三声吹鳴し」ていること、右下り電車の前部には運転士(被告人芳賀)がおり(もっとも、芳賀は連絡用ブザーに対し応答がなかったが)、下り貨物列車の機関士(被告人水上)のいることも察知し得る事情にあったこと、下り電車が上り線を支障していたため電流が短絡して上り線信号機が停止信号を示していたものと信じていたこと、などの事情をあわせ考慮すると、その際、同被告人が、自らさらに前方に走行する等して、上り電車の停止手配等をしなければならないことに考え及ばなかったとしても、深くこれをとがめることはできないのではないかと考える。もっとも、同被告人は、検察官に対する供述調書において、「私は電車が上り線を支障しているので上り列車に対する信号が変り、電車が進行して来ないという考え方がどこかにありました。深く突きつめて考えたわけではなく、漠然と線路を支障しているので上り線が来ないだろうと簡単に思い込んでしまったのです」と述べ、また、「列車防護の必要性については充分心得ております。運転士がブザー合図に応答せず、その安否が確認できなかったのですから、車掌である私が直ちに上り線の進行を阻止するため前方の防護に当るべきでした」と述べて、自己の責任を回避することなく、むしろ、これを肯定するような供述さえしている。しかし、これは、大惨事を惹起した事故について道義的責任を痛切に感じている被告人が、取調べを受けた際、冷静に、若し自分が上り電車の停止手配をしていさえすれば、この大惨事を避け得た筈であったことを反省し、述懐しているにすぎないともみ得るのであって、このことから直ちに、原審のいうように、「運転士の安否が確認できなかった本件の如き場合は、車掌みずから前方防護を行なうべきこと、この場合列車防護が乗客の救助や誘導よりも優先することなどにつき、同被告人自身においてこれを熟知していたことが認められる」と断定することが妥当であるかどうかは疑わしく、また、同被告人に本件第二事故の発生を防止するため、さきに述べたような注意義務の遵守を期待することは、決して難きを強いるものでないと判断しているのも、にわかに賛成しがたいところである。

(3) 第三に、本件の第二事故を惹起した上り電車の停止手配等の列車防護の義務を負うべき者が重畳して存在する場合に、それらの義務者相互間の関係をどう考えるべきかの点についても、問題がないわけではない。被告人美才治が、下り電車の車掌として、法制上、下り後続電車の追突を避けるための適切な措置を講ずべき義務を負うのみでなく、上り電車に対する防護措置を講ずべき義務をも負っていることそのことは否定できないであろう。しかし、本件の具体的・客観的条件のもとでは、同被告人は、さきに述べたように、右の義務と競合ないし衝突する幾つかの義務を負い、しかも、とっさにその選択を迫られていた状況にあったのに対し、下り貨物列車の機関士水上および下り電車の運転士芳賀にしても、三河島駅および岩沼方信号扱所の各職員にしても、同じく上り電車の停止手配等の列車防護措置を講ずべき義務を負い、かつ、より容易にこれを講じ得べき立場にあったものと認められるのである。このような具体的状況のもとにおいて、法の建前であるからといって画一的にこれを同被告人にあてはめ、その過失責任を追究することは問題であり、かりに、同被告人も過失の責を免れ得ないとしても、原審が同被告人の過失の内容・程度・態様について深く考慮することなく、同被告人の控訴を棄却したのは、結果の重大性に目を奪われ、その判断を誤ったものとの議りを免れがたいと思うのである。

三 前叙のように、原判決は、被告人水上、同安生および同芳賀に対する事実認定ないし量刑についても、若干当否疑わしいものがあるが、これらの三名については、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまではいいがたく、原判決を支持し上告を棄却すべきものとする多数意見にあえて反対はしない。しかし、被告人美才治に関する限り、原審は、同被告人の過失の内容・程度・態様についての認定判断を誤り、その結果、刑の量定を誤ったものであって、原判決には審理不尽、事実誤認、法令違反ないし量刑不当があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと考える。したがって、被告人美才治の上告を棄却すべきものとする多数意見には賛成することができないのである。

裁判官下村三郎は、退官のため評議に関与しない。

(裁判長裁判官 天野武一 裁判官 関根小郷 裁判官 坂本吉勝)

(裁判官 田中二郎は、退官)

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